皆さんは「優等生」ですか?
学校の中で、家族に対して、友達に対して。色々な「優等生」のあり方があると思います。
今回の記事は、そんな「優等生」に対して書きます。
「優等生」
皆さんは一度でも「優等生」であったことがありますか?
私は、そうでした。
小学校、中学校、高校。私はずっと周りから「優等生」と呼ばれる存在だったと思います。成績は上々でスポーツもできる。
「◯◯くんって凄いなあ。」「優等生すぎるやろ!」
数え切れないほど、そんな「褒め」の言葉を受けてきました。
でも私は「優等生」であることが不満でした。
「優等生」である自分を心から好きになれなかったのです。
思えば私は、小学校に入る前から「優等生」でした。
母や父の期待を裏切りたくない、怒られたくない。幼いながらそういう思いもあって、言うことの聞ける「いい子」として育ってきたのだと思います。
それは家庭内でも、外でも同じでした。小学校に入ってからも、私は「優等生」のままでした。先生に怒られたくない、とか。母に褒められたい、とか。始めはそういう何気ない思いからだったと思います。
その頃は然程、「優等生」であることに不満はありませんでした。
勉強のことで友達から慕われる。先生からは好かれる。
全然悪い気はしませんでした。小学校ではその後、卒業までずっと優等生。何度か「ワル」を目指してみましたが、結局優等生に落ち着いていたように思います。
そんな小学校を終え、私はそのまま公立の中学校に進みました。私が「優等生」であることに疑問を抱き始めたのは、中学に入ってからのことです。
中学校には色んな人がいました。野球でプロを目指すやつ、美容師志望、中学出たら親の現場を継ぐって奴。
尼崎の下町ってこともあって民度はそう高くない、この点だけは唯一共通していましたが、それを除けばまさに十人十色といった場所でした。
そこでも私は引き続き、「優等生」の位置を獲得していました。
期末テストでは常に首位。しかしスポーツも真面目にしていました。部活ではなく、地元で名の知れた競合クラブチームに入団。勉強もスポーツもできる、私はそんな優等生として周りから扱われました。
でも、中学生といえば遊び真っ盛り。
周りの子はたくさん遊んだり、恋愛を楽しんだりしていました。
わたしもそれはゼロではありませんでしたが、コトあることに勉強・サッカーと、少し縛られたような生活を強いられ始めていました。そんな頃、私は「優等生」であることに少しの疑問が生まれ始めていました。
勉強をしなければもっと違うことをできる、彼女と遊ぶ時間だってできる。
実際、そんなやつ五万といました。しかし私はそんな「疑問の芽」に目をつむりながら、自分にムチを打ち続けました。
自分の欲求に素直になることはダメなこと。そんな風に考えた私はひたむきに、どこへ向かっているかも分からない線路を走りました。そんな私はそのまま大きな問題もなく中学を終えます。特に勉強に関しては学校でもトップで終了。
期末テストで500点満点中498点という脅威の数字を叩き出したこともありました。私は市内で一番の進学校に駒を進めました。
サッカーに勉強。もちろんそこでも「優等生」であることはやめませんでした。
いや、やめれなかった。
高校生になった私は、広い世界を見ることになりました。その頃はSNSも発達して、世界には色々な人がいることを知れました。サッカーでブラジルに留学するやつ、美容師になるやつ、芸術大学に行くやつ。
言語が好きだった私は、海外大学に進学することを夢見たり、音楽が好きだったこともあって、音大に進みたいと思ったこともありました。
しかし私には、そんな方面に進むことはできませんでした。
私はもう、「優等生」のレールにいたのです。「優等生」でない自分を想像するのが怖かった。私はそのレールから外れることに対して、ものすごく躊躇する心を持っていました。
親から褒められなくなる。先生から見放される。世間から見下される。どれが怖かったのかは分かりません。きっと全てが怖かったのでしょう。
私の高校では、「国立大学進学」がスローガンに掲げられていました。多くの中堅の進学校は同じだと思います。そんななか「優等生」とは「国立大学進学」でした。国立大に行けば皆からチヤホヤされ、親から認められ、先生からは誇らしく思われる。
私はレールから外れられませんでした。期待を裏切れなかったのです。
結局大学入試には成功して、一応「レールのゴール」にたどり着いた私は、やはりまわりからチヤホヤされました。
「大阪大学、すごいやん!」
数え切れないほど言われました。しかし私は、「中学卒業から歌手になるという夢を追って上京したやつ」や、「大学進学なんか蹴って美容師になったやつ」、はたまた「学歴を気にせず海外に渡ったやつ」など。そんな奴らのほうが数倍輝いてみえました。
自分は「挑戦」できなかった。
海外大学に行くことも、音大に行くことも、本当にできなかったかというと違います。今でも時々、あのとき音大にいっていたら、とか。海外の大学はどんなんだっただろう、と思うのです。
「優等生のレール」は「可能性」をつぶす。
もちろん好きで優等生をしている人や、周りからはそう言われるが何も思わない、って人も一定数いると思います。しかし、「何かしらの思い」を押し殺しながら優等生をしている、そんな人も多いと思うのです。
好きなことにもう少し正直になってもいい。私は「優等生」のみんなにそう言いたいです。私の場合、経済的にも少し自由が効かない部分はあったのですが、そうでないならもっと正直になるべきです。好きなことに忠実になれと。
もちろん100%とは言いません。
しかし、50%ぐらいは、自分に正直になってもいいと思うのです。優等生のレールの外にはどんな世界があるのか。それを確かめられるのは、優等生である今だけです。大学生や大人になれば、一生その方向には進めない。そんなこと、往々にしてあります。
ぜひ、今を生きてほしいと思います。