山里亮太の「天才はあきらめた」から読み解く天才の特徴。

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僕は天才じゃない。

 

皆さんコンニチハ。リトマです。

先日、話題のあの本を読みました。

「天才はあきらめた」

南海キャンディーズの山ちゃんによる著作で、彼の今までの人生について書かれていました。

そんな彼、作中で「天才」について何度か定義しています。

天才とはどういったものなのか。

今日はそんな「天才」について、書いていきたいと思います。

 

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偽りの天才

「自分は天才ではない。」

 

彼は自分のことをこう綴っています。

自分は「天才」ではない。だからムチを打って頑張る。

これは山ちゃんのお笑い人生を通してずっと貫かれている姿勢です。

 

自分で律さないと怠けてしまう。だから意識的に努力をする。

ノートを何百冊も書き、ダメな所を何度も修正し、ネタ合わせをずっと行う。

お笑いのことを24時間意識的に考えるようにする。

怠けないため、「自分は頑張っている」と意図的に思ってみたり、「モテたい」という動機を作って頑張ったり、「ミエを張って」自ら逃げ道を塞いだり。

彼の全ての行動は、意図的に自分を前へ進ませるために仕組んだものである、と彼は言っています。

自分は天才ではない、偽りだ、と。

 

ここまで聴くと一見、彼は天才ではないか。多くの人が思うと思います。

そうです、ココまで自分を律して努力をできる人はなかなかいない。そう言う意味では彼は立派な天才に映る。

しかし彼は自分は天才でないというのです。

 

天才の特徴

では彼にとって天才とはどんな人なのか。

 

それは彼いわく、「努力を努力と気づかない人」です。

何かに熱中して、それが結果的に努力になっている人。自分をキツく律さなくても、自然と前に向かって進み続けられる人。

そういう人を彼は天才とよんでいます。

お笑いで言うところの、「千鳥」や「笑い飯」だそうです。

 

確かに、彼らもある程度の自律はしているでしょうが、山ちゃんの努力や自律心を知れば、たしかにその程度は全然違います。「千鳥」や「笑い飯」はもっと本能的にお笑いをしている、多かれ少なかれそんな風に思えます。

山ちゃんが24時間お笑いのことを考えている最中、千鳥と笑い飯は劇場で笑いながらお酒を飲んでいた。そういったシーンもあったようです。

山ちゃんに比べて千鳥達は、「ツラさ」を比較的感じていなかったのではないか、そういう風に感じます。

 

ではいったい何が「山ちゃん」と「千鳥」をこうも分けたのでしょうか。

皆さんもここまでで思う節があると思います。

 

私が思うに、コレには「自分の好きなことは何か」ということが大きく関係しています。

「山ちゃん」がお笑いで勝っていくために「努力」したのに対して、「千鳥」や「笑い飯」は「本当に自分の好きなこと」を楽しんだ、という感が強いのではないかと思うのです。

 

「スティーブ・ジョブズ」が好きな「パソコン」で成功したように、

「ネイマール」が「サッカー」で成功したように、

「自分の好きなこと」の分野に行けたから、「努力」が「努力」ではなくなった。

 

もちろんその過程で辛いことも沢山あったでしょうが、自分の選んだフィールドが「そこまで好きではない」人にとってはもっと多くのツラさが待っています。「自分の好きなこと」の分野に進めたから、「努力」を「努力」と感じなくなり、山ちゃんの言う「天才」となり得た、ということです。

かのホリエモンや落合陽一さんも、自分の好きなことを極めろだとか、自分の好きなことにとことんハマれだとか、似たようなことを言っています。

そうすることで無意識で「努力」できる。山里亮太のいうの「天才」になれるのだと思います。

 

山ちゃんのとってお笑いが「天職」でなかったのか?と言われれば分かりませんが、「千鳥」や「笑い飯」が彼より悠々と楽しんでお笑いをやっていたのもまた事実です。

 

私達もまた、自分が「努力」とさえ思わない何か分野(音楽でもスポーツでも趣味でも)を見つけれる必要がある。

そうすることでその分野で「天才」になりうるというわけです。

 

おわりに

いかがでしたか?

天才について。山ちゃんの本から思ったことを書きました。

これからの時代、いや、いつの時代でも、「自分の好きになれる、自分が楽しめる分野」を見つけることはとても重要なのだと思います。

かのジョブズがいう「Keep looking, don’t settle.」ですね。

皆さんもぜひ自分の「分野」を見つけて「天才」に近づいてほしいと思います。

 

ご精読ありがとうございました。

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