「君たちはどう生きるか」って正直批判が多いのではないか。
コンニチハ。
先日、前々から気になっていた本を友人から借りることができました。
真剣な眼差しでこちらを見つめる目。
その目の持ち主、眼鏡の似合う彼が表紙を飾る「君たちはどう生きるか」。
借りたときは既にブックカバーで包まれており、それを剝いて表紙を確認しましたが(笑)
それはさておき、世間で流行っているこの本について、本日は批判的な角度から書いていきたいと思います。
君たちはどう生きるか。
今、日本でベストセラーとなっているこの本。
もともとの吉野源三郎の原作が出版されたのは1937年のことです。
小学生の主人公「コペルくん」は、お父さんを病気でなくした過去を持つ心優しい少年。そんな彼のあだ名を考えた、叔父であり元編集者の「おじさん」と彼「コペルくん」による物語となっています。
いじめの起こる小学校。いじめられている「浦川くん」を見てみぬふりしてきた周囲の人。耐えきれなくなって主犯格の「山口くん」に立ち向かう親友の「ガッチン」。その後孤立する「山口くん」になぜか手を差し伸べる「浦川くん」。そして、それをみて尊敬の念を抱く「コペルくん」。
先輩に目をつけられた親友「ガッチン」を前に、怖くて助けられずに裏切ることになる「コペルくん」は、おじさんに助けながらも乗り越えて、成長していきます。
「同調圧力」や、それによる「見放し」、それに疑問を唱えるような「道徳」が描かれたこの本。
日本で今ベストセラーになっているのは、そういった「道徳」が欠如していることに日本社会が共鳴しているのではないか。
そういった風にこの本は捉えられています。
しかし、私は共鳴しませんでした。
いや、正確に言うと共鳴しきれませんでした。
この本の原作が書かれたのは1937年。戦争によって食べるものもままならない、そんな時代に書かれたこの本には、昔の人々が大切にしてきたであろう様々な「道徳」が書かれています。それこそ、私達の「おばあちゃん」、いやもっと昔の時代を生きた「ひいおばあちゃん」がよく話すような内容です。(私の祖母は69歳、曾祖母は90歳です)
いじめを見過ごす同調圧力への疑問や、「一見すると弱者」に尊敬の念を抱く姿勢など、そこに書かれる多くの内容ー「道徳」には非常に納得・共感できるものが多かったです。
しかし、一点だけどうしても納得しきれないものがありました。
それは、本書の「人間であるからにはー貧乏であるということについて」でおじさんがコペルくんに対して言ったこの部分。
貧しい境遇に育ち、小学校を終えただけで、後はただ体を働かせて生きてきたという人たちには、大人になっても、君だけの知識をもっていないことが多い。// しかし、見方を変えて見ると、あの人々こそ、この世の中全体を、がっしりとその肩に支えている人たちなんだ。君なんかと比べ物にはならない立派な人なんだ。考えてみたまえ。世の中の人が生きていくために必要なものは、どれ一つとして、人間の労働の産物出ないものはないじゃあないか。// あの人々のあの労働なしには、文明もなければ、世の中の進捗もありはしないのだ。
ここ一体のメッセージは大きく4つ、
- 汗水たらして肉体労働(ブルーカラー)をする人が世の中を支える。
- そのような人(貧乏人)を蔑視するべきではない。
- 豪華にただ消費して生きている金持ちは、こういった世の中を支えてない人もいる。
- そういった人(金持ち)は尊敬に値しない。
です。
はっきり言って、現代(2018年)を生きる人がこれに100%で賛成するのは、理にかなっていない。それこそ、「君たちはどう生きるかの内容めっちゃいいこと言ってるよね〜」っていう勢力の同調圧力に負けていると思います。
私が反対したいのは、1番目と3番目。
まずは賛成のところから触れると、「汗水たらして働く(貧乏人)を蔑視するべきではない」というこの部分。
これには大いに賛成です。そういう人にだって尊敬できるところは数え切れないほどあるし、経済的にそれに勝っているからといって、自分の人間的な価値が勝っているというわけではない。とても道徳的な、良い考えだと思います。
加えて、もう片方の人々である、豪華に消費だけして何も産まない金持ち。これが尊敬するに値しないという考えも、賛成できます。金持ちの二世で俗に言う「わがまま姫」的なやつは一番キライです。尊敬するどころか嫌いです。
しかしながら、1番目と3番目、
- 肉体労働する貧乏人が「世の中を支える」。(から感謝すべき)
- ただ消費だけする金持ちは「世の中を支えない」。
だという発想は、イマイチに感じます。
まず下の方について。
事実として「金持ち」がバカみたいに金を使うことで回るのが経済です。
彼らがそのお金を堅実に貯金とかしだしたら経済は崩壊します。「世界の99% の富を1%の富裕層が握っている」的なフレーズがあると思いますが(数値は定かではないですが)、その99%のお金が回らなくなったらどうなると思いますか?言わずとも、経済はとまります。多くの仕事(雇用)もなくなり、失業者は膨れ上がります。
例えば、豪華プライベートジェットで遊ぶ金持ち二世を考えてください。彼らはどこからプライベートジェットを買うのか。それはとりも直さずプライベートジェット屋さんです。じゃあプライベートジェット屋さんはどこから部品を買うのか。ジェット機の部品屋さんです。じゃあ部品は何から作るのか。部品の材料(鉄とか?)をつくる屋さんから買わないといけません。これが経済です。
金持ち二世がプライベートジェットを買わなくなると、部品屋さんはどうやって食べていくのですか?そこの従業員は職にあぶれて食べられなくなるのです。他にも、例えばもしそこの従業員Aさんが毎日会社終わりにアイスクリームを買っていたとします。するとその小さなアイスクリーム屋さんの給料さえ下がるかも知れないのです。
事実として、あの憎たらしい金持ち二世も経済を回しているわけです。それも莫大に大きい規模で。
「ただ消費だけする金持ちは世の中を支えない」というのは違います。
しかしでも、この部分は別にどっちでもいいです。本書のメインメッセージではありません。
私が再考が必要だと思うのはもう一つの方、「肉体労働する貧乏人が世の中を支える」というモノです。
まず本書ではこの人の例として「浦川くん」を想定しています。学校でいじめられていた彼は、家では「油揚げ」の家業を手伝って家計を支えています。小さい弟妹の面倒を見ながら家業を手伝う。
コレ自体はとても尊敬できることです。
しかし、彼は日本を支える一因なのでしょうか、と言われると私は疑問に思います。
それも商店街でもない場所での油揚げ、買う人だって限られています。これが一昔(1937年)の時代で、地元の人の多くがこの油揚げを夕飯に食べているなら、少しは理にかないます。ですが、私達が生きる現代で考えてください。私達が食べるほとんどのもの(油揚げも含め)は、機械によって大量生産されています。そんな中果たしてこの「道徳観」はまだ機能するのか。
いやちょっと待てよ、でもその元々の野菜やコメを汗水たらして採っている農家の人がいるじゃないか。
そういった声が聞こえてくると思います。では百歩譲って「浦川くん」の実家の家業が農家で、お米を取る手伝いをしていたとしましょう。
この場合だったらたしかに、私たちは彼らの努力・汗水あって生活できていると言っても過言ではない。
今までならそう。
じゃあ、その農業を全部機械がするようになったらどうなのか。
そうです、私が今日一番言いたかったのはコレなんです。
色々なことの技術化が猛スピードで進んでいくこの時代、「農業の完全な機械化」が起こりうるということは容易に想像できます。
コレは何も私だけの夢物語ではなく、例えば、かのホリエモンや落合陽一さんは、「機械化が進んで、ご飯を食べるぐらいの事には、ほぼお金を払わなくて良くなる。」といった未来も想像しています。多くの最先端を生きる科学者達も同じような見解を持っていると思います。
農業に人が要らなくなる。そんな時代さえ来るのです。
確かに現在の世界ではまだ、農家の人々に支えられて生活しています。ですが、そうでなくなる時代も近い将来にあるのです。
日本が世界に誇る「いただきます!」は、今までは「自然の恵み(魚とか動物とか稲とか自体)」と「それらを取る人(漁師や百姓など)」の両方に向けて唱えられてきました。
それが、「自然の恵み」と「機械」への感謝になるのか。
はたまた「自然の恵み」と「機械を作った人」になるのか。
「自然の恵み」だけになるのか。
「君たちはどう生きるか」が初めに書かれたのが1937年。
私達が生きる現代が2018年。
では、同じ時を経た2100年ぐらいには、世界はどうなっているでしょうか。
その時に、こういった「道徳」の行方はどうなっているのでしょうか。
私達がこの本を読んで、「昔の人はこういった道徳を大切にしていたんだ。」と思うように、
近い将来、「昔の社会ではこんな道徳がまだあったんだ。」と思う、その「昔」に私達は今生きているのでしょうか。
おわりに。
いかがだったでしょうか。
「君たちはどう生きるか」について少し批判的な目線からの記事となりました。
誤解を生みそうなので一応付け加えると、私はこの本を読んでよかったと思っています。
否定ではなく批判。現代や未来に対してこういった「道徳」がどのように機能していくのか。
それについて少し考えてみた次第です。
この本を読んで、皆さんもぜひ考えていただきたいと思います。
ご精読ありがとうございました。