4/21日、今日の出来事は今後何十年も人々に語り継がれるでしょう。
今日朝起きてツイッターをなんとなく見ていたら衝撃のニュースが目に止まりました。
R.I.P. Avicii。
もしかしてと思い漁り続けると、どうやらこれは事実らしい、とのことでした。
Aviciiが死んだ。学生の頃からEDMを聞いて育った私達からすれば、Aviciiは私達の大切な思い出でした。学生時代、朝早くから起きて学校に向かうときも、疲れ果てた部活のあとも、彼の音楽を聞きながら自転車を漕いだものでした。
彼はいわばEDM界のマイケルジャクソンであり、ビートルズでした。
私は彼の曲の中で、とても思い入れの深い一節があります。
”One day you’ll leave this world behind, so live a life you will remember.”
– いつかこの世を発つのだから、記憶に残る人生に生きろ。
この”いつか”が彼にとって今日だったことは、28歳だった彼にとっても、私達にとっても、とても大きな悲しみです。
さて、本日は彼の残したこのセリフにも関係する話です。
継続するためには。
多くのヒトが継続することの難しさを感じているでしょう。「学生の頃はがんばれたのに」と思うヒトはきっと大勢いらっしゃるはずです。先に断らせていただきますと、
この記事を読んでも”継続”に対する答えはわかりません。「方法が知りたいんですけど!」って方はユーチューブにAviciiの曲でも聞きに行ってください。読み進めるより有意義で幸せな時間を過ごせます。
それでは今日の本題です。
まず先程私が載せた歌詞をもう一度見ていただきたい。
”One day you’ll leave this world behind, so live a life you will remember.”
この記憶に残る人生と言う部分なのですが、あなたは記憶に残る人生と言われて何を思い浮かべますか??
私は楽しい人生を思い浮かべます。色んな人と関わって、いろんな場所へ行って…
きっと多くのヒトはそういうイメージを持っていると思います。
ですが、これって実は継続と真逆なんです。まあ、正確にゆうと真逆とまでは言えませんが、かなり違う方向を向いています。継続というのは、ヒトによって程度は異なりますが、多かれ少なかれ辛くて苦しく、努力を強いられるものです。
例えば、中学・高校時代。ここに二人のヒト:
・Aくん:バイトをして色々なものを買い、彼女を作って楽しい時間を過ごしていたヒト
・Bくん:受験勉強に明け暮れ、十分に遊ぶ暇がなかったヒト
二人共、大学に入る前の18歳でこの世を去ることとします。
どちらの人生のほうが輝いてますか?楽しそうですか?記憶に残りますか?
死んだ直後、Bさんは天に登りながら思うのです、「もっと遊んでいればよかった。」と。
そしてAくんはBくんに同情しながらも、穏やかに天に登っていくのです。
ではなぜ、多くのヒトが受験勉強を続けれるのか。
そうです、18歳で死なないからです。
一見当たり前のように響きますが、ここがとても味噌なのです。
人間は、”死なない”という信頼のもとでしか、努力を続けれないのです。
かの有名なガンディおじいさんはこんな言葉を残しています。
”Live as you were to die tomorrow” – 明日死ぬと思って生きろ。
これも私の好きな一節なのですが、
皆さん、明日死ぬって考えたら今日何しますか?
”勉学”や”研究”と答えた皆様は偉大な研究者様です。あなた方のおかげで人類は進化できます。ありがとうございます。
ですがほとんどの方はそれ以外だと思います。大金叩いてナイアガラの滝を見に行く、とか、韓国まで行ってTwiceをひと目でも見に行く、とか、彼女とたくさん時間を過ごす、とか。色々あると思います。
ましてや18歳にもなっていないキッズからすれば、勉強などと答える輩はほぼいないと思います。
さて本題に戻ってきました。
なぜ勉強できるのか、なぜそれを継続できるのか。
明日死ぬことなんてまあないからです。
”死なない”という前提があって、ヒトは未来の自分のために継続できるのです。
勉強以外でもそうです。明日死ぬのがわかっていたら、今日私は筋トレなんてしませんし、18歳で死ぬのが分かっていたら、将来のために受験勉強もしなかったでしょう。
(ヒンディーおじいさんの”明日死ぬように今日を生きろ”を受験勉強期に机の上に飾っていたときは、なぜいま勉強を頑張っているんだろうとよくなりました。なにしてんねん。)
実は、ヒンディーおじいさんの先程の言葉には続きがあります。
”Learn as if you were to live forever.”- 永遠に生きると思って学べ。
彼はしっかり理解していたんですね、学びの継続には”死なない”という確信が必要だというのです。
さてここまでは理解していただけたかと思います。
そしたら生の確信がない今、どうやって継続を図るか。
私の答えはこうです。
”楽しさ”と”継続(つらさ)”に折り合いをつける。
ぼちぼち楽しみながら、継続を続けていく。
それが、「明日死ぬかもしれない」と「永遠に生きる(100歳ぐらい)」がどっちもありえるときの最善の手でしょう。(経済学で言うリスク回避に近いですかネ)
ただ、1ヶ月後に地球が滅亡したとき、笑うのは明日死ぬと思って楽しんできた奴らだろうし、
人間が不老不死になって永遠に生きることになったとき、笑うのは学生の頃死ぬことなんて一切考えずに自己投資してきた奴らかもしれません。
継続とは難しいものですね。今全世界に隕石が落ちたら、笑うのはさっきこの記事を読むのをやめてAviciiを聴きに行った奴らでしょう。
さあこれ以上記事を書いてる暇はありません。Avicii 聞いてきます。
ご精読ありがとうございました。
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