映画「ショーシャンクの空に」を見て、本当の「困難」について考えてみた。

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では、あなたが経験した「困難」について教えてください。

 

皆さんコンニチハ。リトマです。

先日、「ショーシャンクの空に」をDVDで見ました。

 

とても深く重みのある話で、筆者が好きなタイプの映画でした。後味がなんとも言えなく重たい。バッドエンドでは無かったものの、見終わった後は「映画の満足感」にお腹いっぱいになりました。(筆者のバッドエンド好きは「バッドエンド至上主義」を見てくださいね)

 

この映画、なんといっても主人公に降りかかる「困難」がえげつないんです。

 

今日はこの「困難」について少し真剣に見ていきたいと思います。

かなり有名な映画なので、あらすじを知っている人も多いと思いますが、知らない人のために少しかいつまんで説明しておきましょう。

 

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理不尽なショーシャンク

ここから少しだけ映画の内容に触れますので、見たくない方は先に映画を見てくださいね。

 

この映画は牢獄「ショーシャンク」での囚人たちの生活を描いた作品です。

軽めの刑から死刑まで、様々な罪を犯した”罪人”達が、このショーシャンクで暮らしていて、主人公であるアンディもその中の一人として暮らしています。

 

しかしながらこのアンディ、”罪人”ではないんです。

彼はいわゆる冤罪で、このショーシャンクに20年もの長い間閉じ込められるのです。

 

ショーシャンクの所長はよくある「権力を謳歌する悪人」で、アンディを含めた囚人たちは、自分たちの犯した罪の、何十倍もの醜い扱いを受けることになります。(アンディに関しては無罪ですが)

そのような理不尽で過酷な境遇の中、囚人たちは希望を絶やさずに立ち向かっていく、という物語です。

 

ここで一番のポイントは、アンディは冤罪だということです。

冤罪であるのにかかわらず、20年間も耐え続けて抵抗するのです。

これは、信じれないくらいの「困難」だというのは共感頂けると思います。

 

困難とは

「人生で一番の困難はなんでしたか?」とか、

「あなたの学生時代の困難を乗り越えた経験を教えてください」とか。

 

ココに居る大勢の皆さんは、就活の面接等でこんな質問をされたことがあると思います。

 

「困難」ってなんやろ。

そんな面接官からの質問に対して、こんなことを思ったことはありませんか?

 

皆さんも一度はあると思います。

留学が困難なのか、スポーツが困難なのか。

「困難」の定義はあまりにもふわふわしているように思いませんか?

 

私は、「困難」とは大きく分けて2種類あると思います。

それは、

  • 何か行動を起こす時にぶつかる、挑戦すべき「壁」のようなもの。
  • 自分の置かれた状況に関するもので、逃れられない「苦痛」のようなもの。

の2つです。

 

例を上げましょう。

あなたが留学に行くとします。それもチリとかアフリカとか、文化があまりにも違って言葉も通じなさそうなとこ。ココでのビジネス経験を指して、例えば文化の違いを考慮しながら、笑顔や伝える意思を持つことで、だんだん打ち解けるところからビジネスがうまく行くようになった、だとか、

何かスポーツをやっていて、毎日20kmのランニングを継続することで、試合の半分でパフォーマンスが落ちていたのを改善した、だとか、

はたまた、コーヒーショップでバイトしていて、チリ産の豆の販売数が極度に悪かったため、広告戦略やデータ分析を利用して、展示をうまく活用することで120%まで売上を伸ばした、とか

 

これらは全部1つめの困難、「何か行動を起こす時にぶつかる、挑戦すべき「壁」のようなもの。」の例です。

 

そして2つめの困難、「自分の置かれた状況に関するもので、逃れられない「苦痛」のようなもの。」の例に代表されるのが、このショーシャンクのお話です。

 

彼らは全ての権力はショーシャンクの悪所長がもっており、囚人達には抵抗の余地がありません。いわば奴隷のような境遇です。いま奴隷を比喩にしましたが、本当の奴隷だって同じ「2つめの困難」を体験していると言えるでしょう。

他にも、学校での「いじめ」がひどくてどうしようもない人達や、暴力を日常とする家庭で育つ逃げられない幼児なども同じ境遇です。

 

これらはみな、「逃げられない苦痛の状況」をかかえた人たちの例で、彼らの持つ困難は一つ目の困難とは性格が全く異なります。

 

さて、今2種類の「困難」を説明しましたが、あなたはどちらの困難がより”重い”と思いますか。

 

2つ目の「困難」。

 

私の考えではそう思います。

1つめの困難の例では特に改善経験も一緒に書いていますが、よく就活の面接やESで聞かれるのはこちらの方の「困難」ではないでしょうか。そして多くの場合、就活やビジネスで一見必要とされるのは1つ目という印象があります。

 

私はすごく違和感を覚えます。

 

私は中学時代に、サッカーをしていました。

ショーシャンクでのアンディには到底及びませんが、私はそのサッカーで「逃げられない苦痛の状況」を経験しました。

クラブチームの監督は理不尽で暴力も伴うもの、私はそこで心底「2番目の困難」を体験することになったのです。

 

しかしながら、よくよく考えると「逃げ道」はありました。”クラブチームを辞める”という最終的な選択肢が私には残っていましたから。

当然、今まで教えてくれた小学校のコーチ陣や周りの「期待」がその最後の「選択肢」を遠ざけていたのですが、絶対逃げれなかったか?といわれるとそうではありません。

 

だから余計に思うのです。

「逃げられない「苦痛」の状況」がどれほど辛いか。

僅かな逃げ道があった私でさえそれはとても辛く、厳しいものでした。ましてや完全に逃げ道がシャットダウンされてる場合、それは普通の人では想像できないような「困難」でしょう。

 

話を戻しましょう。

私は先程、「すごく違和感を覚える」と書きました。

 

私は、「困難」な経験を披露することを求められる場面で、違和感を感じます。

全ての「1つ目の困難」が、私にとって重みのないように感じる、違和感はそこから来ます。

 

就職活動で困難の「改善経験」が求められるのは理解できます。

が、「留学の困難」や「仕事での困難」などは、所詮「挑戦」なのです。

自分で選択できるものであって、多くの場合そこに「痛み」はありません。

 

冤罪で20年間虐げられる「痛み」や、家庭内暴力に苦しんだ幼児期の「痛み」と比べると、「挑戦」は軽いものに聞こえてしまうのです。

 

じゃあ就活で「2つ目の困難」を書くの?

いえ、それはないでしょう。それには多くの場合「痛み」が伴いますから、就活のような場で話す人はそう多くないと思います。第一、就活で求められるのは「1つ目の困難」でしょうから。

 

私はそういう話をしたいのではありません。

 

私はただ、2つ目の困難」の存在にもう一度目を向け、心の視野を広げてほしいのです。

いかに大変で過酷なものか、平和に行きてきた人の語る「困難(挑戦)」とどう違っているのか。

 

それを是非理解した上で、生きていければいいのではないか、そう思うわけです。

 

終わりに

いかがでしたか?

 

少しは筆者の思い、共感いただけましたでしょうか?

ショーシャンクということで少し重たい内容になってしまいましたが、映画はバットエンドではありませんので、ぜひ見てみてくださいね(笑)

この記事から「困難」について、少しでも考えを膨らましていただけたら幸いです。

 

ご精読ありがとうございました。

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