日本人よ、母性はないのか。
皆さんコンニチハ。リトマです。
世界中を熱狂に包んでいるワールドカップ。
そんな中、先日のセネガル戦で西野監督がとった試合間際の戦術が、大きな議論を呼んでいました。
本日はそんな話題について、筆者の思うことを書きたいと思います。
「パス回し」
https://www.football-zone.net/archives/116502 より抜粋
事態は後半残り15分、セネガルに0−1で負けている状況での出来事です。
裏でやってる別の試合がこのまま動かなければ、「フェアプレーポイント」によって負けても決勝トーナメントに進める。この状況から、「反則のカード」と「失点」を防ぐために、西野監督は「パス回し」をして時間を稼げという指示を出しました。
結果的にこの戦術は功をなして日本は決勝にコマを進めます。それにもかかわらず、サポーターや視聴者からは、その「戦術」に対して多くの非難の声がありました。
ツイッター等のSNSでも色々な有名人がこの件について言及しており、TVでも著名人が言い合いになったりしていました。
そんな日本人の姿を見てて私が思ったのは唯一つ。
日本人情けな。
もちろん、選手たちに言っているわけではありません。
西野監督を批判している、日本人に向けて言っています。
要点を整理しましょう。
「日本人情けな」と私が思う理由は2つあります。
それは西野監督批判から垣間見言える、
- 日本人のスポーツ経験のなさ
- 日本人の母性の少なさ
です。
本気でスポーツしてみれば?
私は西野監督を批判してる方々を見た時、一番はじめにこう思いました。
「この人達ちゃんとスポーツしたことないんやろな」と。
本気でスポーツをしたことがある奴は「西野監督のパス回し」を批判しない。
大概の本気でスポーツをしたことがある人は、この戦術を批判しないと思います。
国を代表してワールドカップで上位に行く、ということを真摯に考えて日々選手たちは練習しています。もちろん、各々のクラブチームで普段は活動しているでしょうが、一度代表に招集されるとそれからは「勝ち残る」という大変な目標に向けて日々努力しています。
そんな中グループリーグにおいて、「勝ち残るため」に確率の高いあの「戦術」を取ることは至極当然。
そんなこと、本気でスポーツをやっていれば多くの人は経験として知っているはず。サッカーを始めとしたグループリーグが身近なスポーツの経験者は、そのような「消極的な」戦術を否定はしないでしょう。
そして、もしそのような経験を直接経験はしていなくても、「トップを目指して」本気でスポーツをしていた方ならば、少なくとも「否定」や「非難」はしないはずです。いくら不満に思っていたとしても。
スポーツ経験者であれば、多かれ少なかれそのような最低限の「寛容さ」を持ってると思うのです。
- 「経験的に理解できる」または
- 「経験はしてないけど寛容になれる」
「本気でスポーツをしたことがある奴」はこのどっちかだろうと思います。
母性
では、「 本気でスポーツをしたことがある奴」以外の人は「寛容さ」を養えないのか。
そんなことはありません。
スポーツ未経験であっても、西野監督を「非難」しない人も一定数います。
では「非難」する奴らとの違いは何なのか。
「母性」の有無。
わたしはコレが「非難」の根底にあると思います。
先程も言ったように、代表選手は「国を代表してワールドカップで上位に行く」ということを真摯に考えて日々汗水たらして頑張っています。
普通はその事実に対して、少なくとも敬意や思いやりをもってコメントするのが筋でしょう。
自分の子供がワールドカップに出てることを想像して見てください、こんな非難はありえないでしょう。
それを頭ごなしに否定する。思いやりの欠如です。
何が「オ・モ・テ・ナ・シ」やと。
「自国の代表の頑張り」を考えろと。
これが「他国が日本に対して時間稼ぎをしてきた」だったら話はまだわかります。
ですが、自国である日本の頑張りを見ずに否定するのは「母性の欠如」以外の何物でもありません。
私達日本人がこれに「頑張ったな!日本!」といってあげないでどうするのだ、と。
Twitterでこんなコメントを目にしました。
「前2試合は良かったけど、今回ので最悪になった。もう一生サッカーみん。」
私もこのツイートを見て思いましたよ、
「今回ので最悪になった、もう一生ツイッター見ない。」と。(見るけど)
他にもたくさんの非難を見ました。
頑張った経験がまったくないのか、あまりそこまで配慮が回らないのか。
わかりませんが。何かしらに頑張ったことがあれば「寛容」になれるのではないかなあ、と思うのですが。
もちろん、「批判」している人は別です。(非難と批判は全然違います。わからない人はぐぐってみてくださいね。)
この日本の戦術について考え、日本の将来のサッカーについて危惧するのは、別に否定しません。その人だって、別に否定しているわけではありませんので。心では日本を応援している人がほとんどでしょう。(それにしても批判は後でしてくれとも思いますが)
しかし頭ごなしに非難している人には、「母性が足りてないな。」と思うわけです。
「思いやり・オモテナシの国ニッポン」には大きなクエッションマークです。
おわりに
いかがでしたか?
- スポーツ経験からくる「寛容さ」
- 経験すらなくても普通あるであろう「母性(寛容さ)」
今回の騒動で、「この2つが足りてない人が多いなあ」といった印象を受けました。
これらを身につけるためにも、スポーツをすることは重要なのかもしれませんね。
あんなに頑張っている日本代表。
私は最後まで応援したいと思います。
日本のサッカーの将来への危惧はその後。
みんなが頑張り終えてからゆっくりと議論すればいいのではないでしょうか。
ご精読ありがとうございました。