ネパール人たちとカラオケに行った話。

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ネパール人って何歌うの??

 

先日、ちょっと変わったメンバーでカラオケに行く機会がありました。

 

その日は、長い春休みが終わって、一通り桜が咲き終わった4月前半。

筆者はエジプトに帰っていた友人と久しぶりに会う予定でした。

 

エジプトに故郷?!と思う方が多いと思いますが、はい、彼女は何を隠そうエジプト人です。

留学生には、海外の大学から半年や一年間だけこちらに来る交換留学生と、4年間日本人学生と同じカリキュラムで学ぶ正規留学生があるのですが、彼女は後者で、

 

エジプトのインターナショナルスクールを出ていることもあって、彼女はネイティブに引けを取らない英語力で、英語はアラビア語と並んで彼女のファーストランゲージといえるほどです。

 

そんなクールな彼女と出会ったのは昨年の英語の授業です。履修者が4人だったこともあり、仲良くなってよく遊ぶようになりました。

日本へ来て3年目の彼女はとても流暢でキュートな日本語話者でもありますが、出会いが英語の授業だったこともあり、私達は基本英語でのコミュニケーションをとっています。

 

そんな彼女は陽気でハッピーな友達でもありながら、私とは異なった文化を持つ特別な友達でもあります。

ここでは彼女の名をエミリとします。その日はそんな彼女と、彼女の親友との3人で夕食を食べる約束でした。

 

数日のポカポカとした天気とは異なり、久しぶりの大雨に見舞われました。

授業をすべて終え、傘を持っていなかった私は、小走りで坂をかけ下り、集合場所へ向かっていました。

 

彼女は文化的な感覚が似ているのだろうか、ネパール人の友達がたくさんいるのですが、私はその数人と面識がありながらも、しっかりと交流したことはありませんでした。

 

待ち合わせの数時間前に「今日、ゼイもくるけどいい?」と連絡を受けていた私は、

新鮮な交流に胸を踊らしながら足を進めていました。

 

結局、集合場所のイタリアンで待っていたのはエミリの親友ゼイではなく、また別のネパール人で、

ゼイはあとから合流するとのことでした。

 

早速薄暗い階段をのぼっておシャンなイタリアンバーに入り、三人揃って同じおすすめのパスタをたのみました。私はほとんど初対面であったネパ−ル人、ジョンともすぐに打ち解け、三人での会話をしばし楽しみました。

 

留学生と交流していてよく思うことなのですが、彼らは初対面の人と打ち解けるのがとてもうまくて感心します。

 

特にアジア以外から来た留学生が初対面と打ち解けるのには、1分もあれば十分です。

(日本人同士では、知らない人を混ぜて三人でご飯を行くことはもちろん、下校時に居合わせたとしても自己紹介すらしない場合が多いでしょう。)

 

薄暗い店内でカウンターに三人。静かに時間が過ぎていきました。

 

2時間ぐらいたったでしょうか、エミリはその時親友ゼイと連絡を取っているようでした。

 

ゼイと私は面識があり、何度か大学で話す機会がありました。彼もエミリと同様に英語教育を幼少期から受け、母語のネパール語に加え、とてつもない英語力を持っています。揃いも揃ってたまげたものですね。加えて彼は工学部であり日本語も問題なく、世界はいつだって広いな〜と開いた口がふさがりません。

 

ゼイはそこから私達と合流し、せっかく4人集まったのでと言う事で、私達はイタリアンを背にカラオケに行くことになりました。

 

お待たせしました。ここからがこの話の本番です。

 

その辺一帯でも安めのカラオケに入った私達は手短に手続きを済ませました。

ゼイが当たり前のようにマイクスタンドを借り、それを片手にコーラを入れたあと、彼は一人先に部屋に向かいました。私は一足遅くドリンクを入れ終え、部屋に入ったところで、一つの疑問が頭に飛び込みました。

 

「ネパール人は何を歌うんだろう。」

 

正確には、「彼らはこと”音楽”に関して、どうゆう文化で育ってきたのだろう。」でした。

 

私は何度かエミリとカラオケに行ったことがありました。彼女はBon jobi の大ファンで、大のロック好きです。他にもいろいろな音楽を好きでしたが、英語圏のアーティストに興味は向いていたように思います。世界的に有名な今時の歌手ChariePuthShawnMendesなどはもちろん知っているし、一昔前のLinkinParkなどの曲は隅々まで知り尽くしていました。(日本人にとっては馴染みの薄いアーティストではないだろうか)彼女はインターナショナルスクール上がりなのであるから、英語圏の文化で育ってきていることは私にとって妥当でした。

 

ではインターナショナルスクール上がりでもないネパール人二人は何を歌うのかと。どうゆう音楽文化で育ってきたのかと。私は興味津々でした。

 

彼らが歌ったのは、

 

LinkinParkでした。

 

 

私は彼らの育った環境を想像しながら、流暢に歌う彼らの姿を見ていました。

確かにチェスターがこの世を去ったとき、日本にさえ大きな衝撃の波が起こりました。

 

しかしそれは明らかに、日本人一人ひとりが起こした波ではなく、チェスターをよく知る海外の人々が起こした波で、日本にはその波が”届いた”という方が正確でした。それほどに日本は、海外でそれほどまでに有名なバンドの影響を受けずに、また別の文化でひっそりと過ごしてきたのです。(チェスターはLinkinParkのメインヴォーカルです。)

 

だが彼らは違いました。中学生にしてバンドにハマり、ワンオクやエルレと並べてLinkinParkをかじった僕とは違って、彼らは幼少期からその音楽を聞き、それとともに育ってきたのです。彼らネパールの文化は、ユーロで生活する国々と同様に、英語圏の文化にも多く影響を受け、生活して来たのです

 

とても意外でした。中国のすぐ下、僕らがアジアと呼ぶその地域ネパールで、日本とこうも音楽文化が違っているのだと。そしてこれはきっと音楽文化だけにとどまることではなく、いろいろな場面で彼らは英語圏の文化に多く触れ、また一緒に育ってきたのだろうなと。

 

中学生当時MeteoraLinkinParkのセカンドアルバム)を世界に5年遅れで買い、他の日本人よりは外を知っていると思っている私でも、彼らが歌うLinkinParkの曲に私が歌える曲はありませんでした。

 

もちろん隣でエミリはノリノリで歌うのです。これが彼らの育った文化なのです。

 

私はここで、「だから日本の音楽がダメだ、幼稚だ」と言うつもりは毛頭ありません。私も日本の音楽が大好きですし、雪の華を歌ったときの留学生の反応は決まってとてもいいです。日本の音楽にももちろん良さはたくさんあります。私の言いたいのはそういうことではない。私が言いたいのは、きっと、エジプトから来たエミリも、ネパールから来た二人も、それぞれの国の音楽はあって、

 

しかしそれと並行して、世界的な音楽(適切な表現かはわからないが)のシャワーもたくさん浴びて育っているのだということです。

 

島国鎖国上がりの日本。経済力も高く日本語で高等教育を行う日本。英語圏の文化が薄く英語力の低い日本。

私はノリだけリンキンパークに合わせながらも、内でいろいろなことを考えていました。

 

トイレに行こうと部屋を出て、ふと窓を見ましたが、

外はまだ雨が降っていました。

 



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