Hey folks, my name is DORAEMON.
コンニチハ。リトマです。
皆さんは、「ソフィア」という人物を知っているでしょうか。
はい、お気づきの皆さんも多いと思います。
彼女は人工知能ロボットです。
少し前に国連の会議で流暢な会話を披露したり、「ロボットが人類を滅ぼす」と発言したり、サウジアラビアで市民権を持っていたり、なにかと話題のこのロボット「ソフィア」。あの有名な「青だぬきロボット」に現在一番近い存在と言えるでしょう。
そのようなロボットを使って英語教育をしていこうと。
なんとも凡人的な発想ではないか!
ロボットと会話を英語でさせるんだろ?
とお考えの皆さん。少し待ってください。
そんな考えとは少し違った視点からの次世代的教育法を説明していきたいと思います。
言語力
そもそも、言語力はどのようにして培われるか。
「交換留学を目指す全ての学生へ。」でも述べたように、言語力の根底にあるものは、生きたコミュニケーション量です。
生きた「リスニング・発話」機会の多さが重要だとも言い替えれます。
例えば、
私達は教科書によって日本語を学んだわけではありません。
友達の間で流行ってる言い回しや、テレビの芸人の喋り口調など、そういった生きたインプットを行った上で、それを実世界で友達や家族にアウトプットしていく。
そうして私達は日本語を学んできたと思います。
各地方によって方言があるのもこれで説明できると思います。周りのみんなが関西弁で喋るから、関西弁力を培うことができるのです。
英語教育にも同様のことが言えます。
英語話者しかいない場所に飛び込んで20年すれば、嫌でも英語力は身につきます。
英語話者の友達の間で流行ってる言い回しなど、生きた英語のインプットを行える上、それをアウトプットできる環境も整っているからです。
しかしコト日本のような外国人がそう多くはない国では、そのような状況は起こしにくい。
外国人が増えていると謳われている現在でも、小学校・中学校またはそれ以前に同世代の外国人友達を作る、というのは至難です。
そういう状況だからこそ仕方なくそれを”想定した”リスニング練習や会話練習などが行われているのです。
この教育を否定する気は全くなく、外国人が少ない日本で取れる最善策であると思います。
しかし強調しますが、これでは本来的な言語向上術からは遠い。
英語教育
先程言ったような「リスニング練習や会話練習」の大きな欠陥、それはそれが「with英語話者」ではないことです。
模倣は所詮模倣。生きたリスニングでもなければ、生きた会話でもない。
そこに本来の”コミュニケーション”はなく、記憶には定着しません。
なにが言いたいか。
生きたリスニング・会話には、「英語話者の友人達」が授業にいる必要がある。
ということです。
大学には、少なからず「留学生が集まる授業」というものが存在します。おそらく、留学生のカリキュラムなので奨励されているのでしょう。
そして、そのような授業の多くは英語で開講されており、留学生が大半を占めています。
「日本の政治情勢を学ぶ授業」や、「日本の歴史を学ぶもの」などがありますが、その中にはそういった英語環境での「英語の授業」もあります。
私は大学で、よくこのような英語の授業を取っていました。
そこでの授業が私にとってすごく刺激的だったのです。
いくら先生がアメリカから来たネイティブの先生でも、私達「生徒側」に「英語話者」がいなければ学びは多く起こりません。
- 英語話者の友人が先生に物をいう言い方。
- 英語話者の友人のプレゼンの仕方。
- 英語話者の友人のディスカッション時の言葉。
などなど。
究極的に言えば、「英語話者”同士”の会話」
これを感じることで、学びがおきます。
私達が学ぶべきものの多くは、「英語教師」からではありません。
「英語話者の学生」から学べるのです。
砕いて言えば、「英語話者同士」つまり「英語話者の友人同士」または「英語話者の友人とネイティブの先生」の会話をきくことが、この上ない学びにつながります。
実際私の場合、ネイティブの様に英語を喋れる友人”と”一緒に授業を受けたこと。
これがとても学びになりました。
ネイティブの先生の授業を日本人の学生だけで受けていては絶対に学べませんでした。
大切なのはネイティブの先生だけでなく、ネイティブの友人なのです。
新世代の英語教育
話を戻しましょう。
では、新時代。ロボットが実用化されていく中でどういうふうにこれを活用していけばいいか。
先程の考えは分かっていただけたと思いますが、その本来的な英語教育が実現できない1番の理由は「英語話者がそのような空間にいるメリットがあまりないこと」だと思います。
大学にまで来てしまえば、日本人の友達がほしい英語話者がある程度いて、日本にわざわざ留学してきてさっきのような「英語の授業」にでる、ということもあります。
しかしながら、小学校・中学校の段階で、彼らが日本に来て「日本人の友人」としての役割を果たすインセンティブは全く無いでしょう。これでは早い段階からの「生きたコミュニケーション」は不可能になる。
ではどうするか。
これを技術によって改良するわけです。
究極的な答えは、
「ドラえもんを生徒として投入する」
です。もちろん英語を喋るドラえもん。
大事なのは彼らを「生徒側のひとコマ」として活用するということです。
- 「ドラえもん」同士が喋ったり、
- 「ドラえもん」が先生に向けて発言したり、
- 「ドラえもん」がプレゼンを行ったり、
もちろん、皆さんがはじめに考えたであろう、
- 「ドラえもん」が自分(日本人学生)と喋る
というのも活用していくことになります。
しかし注目すべきはもはやそこではありません。
「ドラえもん」同士が喋ったり、「ドラえもん」が先生としゃべる。
ここが最も画期的な所です。ここを肌で感じることで、「生きたコミュニケーション」にぐんと近づいた言語教育が行えるのではないでしょうか。
30人入る教室にロボットが20人。
彼らが主体となって授業に参加することで、そこには英語でのインタラクティブな空間が生まれる。
日本人学生10人は、まるでアメリカに留学中かのような感覚で学ぶことができるのではないでしょうか。
もちろんここまで話した内容は「究極系」の話ですが、
その過程でも、いろいろこれに近い方法が模索できると思います。
これはAIとAIを会話させた実験の動画です。
私はこれを見て思いました。
AIとAIが会話している、と。(そんままですが…)
すごく自然な会話だと思います。もちろん、AIの賢さゆえに哲学的な内容が途中で出て来てますけど、それでも十分すぎるクオリティです。
これが4−5年でもっと実用化したら、先程言った授業での「英語話者同士の会話」は成立するだろうと思います。実体を持ったロボットを導入する前にでも、AIを使った「非実体」が会話する空間というのは作り出せるのではないでしょうか。
ロボットの値段は今の所莫大ですので、全ての教室に導入するなんてことはまだ現実的ではありません。
- 今言ったような「実体をもたないAI同士に喋らせる教室」にしてコストを抑えたり、
- 「ロボットを生徒として登場させる新たな英会話教室」を開いて低価格で人を集めたり、
なんてのから普及させていく、というのもありかもしれません。
いずれにせよ、この言語教育モデルは次世代の学習者にとって革命的な方法になりうるのではないでしょうか。
一部では、自動翻訳の登場によって「英語を学ぶ事自体がもうナンセンス」という声もありますが、筆者はこれに反対の考えです。
自動翻訳は「人間同士の意思疎通ツール」としてしか言語を見ていません。
他の言語を学ぶことというのは、単に意思疎通を行うためのものではありません。
言語からにじみ出る「文化や思想、歴史やニュアンス」等を知るためにもあります。
言語を学習することに対する需要が消えることは絶対にない。
私はそう思います。
そんな中、「言語を機械が取って代わる」のではなく、
「言語を学ぶことを機械が援助する」というこのモデルは、
広く受け入れられるものではないかと思います。
おわりに
いかがでしたか?
80%ぐらいは共感していただけたでしょうか。
英語教育についての筆者の見解を交えながらの記事となりました。
「未来は誰にもわからない」
という言葉がありますが、来たる20年後の時代、言語教育はどのように変わっていくのか。
筆者としてもとても楽しみです。
ご精読ありがとうございました。