昨年の夏頃、私はシーシャカフェに行く機会がありました。
シーシャとは水タバコのことで、中東の方ではどのカフェにもあるぐらいポピュラーなモノです。
日本ではそこまで広まっていませんでしたが、その頃ぐらいから徐々に流行り始めていました。
「水タバコ行ってみようよ」
とコリアンの友人に誘われて、はるばる京都まで繰り出しました。
この友人の名前はサイモン。私の親友で、彼はアメリカに5年住んでいたこともあって英語はネイティブの様なレベルです。(サイモンについては「人生を変えるやつに出会う方法」も見てくださいね)
そんな彼と、初めての水タバコに行こうと。
道中
その日は真夏がすぐそこに迫った、カラっとした快晴の日でした。
昼頃から梅田で待ち合わせをして、涼しい阪急電車に揺られたあと京都に到着。
シーシャカフェの開店時間の関係もあり、とりあえず金閣寺を見に行こうということに。
韓国からのおみやげのチョコをもらい、それを食べながら観光客だらけのバスに乗って20分程。
私達はしばし会話を楽しみました。
私がその頃作り上げた最新の音楽を聞いてもらったり、韓国女子は化粧で見分けれること等。
英語で話すのが久しぶりだった私は、所々つまりながらも頭をフル回転させて喋っていました。
しばらくして金閣寺に着き、観光客に混じりながら金閣寺を一周。
中国人観光客が多かった気がします。私達はそのなかの一組に写真を取ってもらいました。
金閣寺を見た後、乗るバスを一回間違え、私達は夕方頃に河原町に戻りました。
シーシャカフェまでもうすぐです。
シーシャカフェへ
目立たないアパートのようなところにそのカフェはありました。
一度通り過ぎ、地図を再確認して店を発見。
店内に入るとそこに待っていたのはキレイで外国風の空間。
金髪の西洋人っぽい人が数人いました。
奥に靴を脱いでくつろげるスペースがあり、私達はそこに座りました。
初めてのシーシャは甘めの味を選びました。カクテルを飲みながらシーシャを堪能。
しばし落ち着いて時間を過ごしました。
日本人の客は比較的少なく、外国人が多かった印象の店内。
そんな中、一人の印象的なお客さんがやってきました。
筋肉質の体に、バスケのタンクトップ。
背の小さめなその外国人は、私達のすぐ近くの空間に腰をおろしました。
タイトルで書いた、「黒人」とは彼のことです。
彼は座ってしばらくして店員を呼びました。
ここでストーリーは始まります。
外国人が結構多いのにかかわらず、店員はあまり英語を話せない方でした。
彼の注文を店員が全く聞き取れなかったのです。私はその様子を横目で見ていました。
するとサイモン。
突然店員とコミュニケーションを取って通訳を始めたのです。
注文を無事取り終わり、黒人の彼はサイモンに一言。
「Thanks man!」
コレがきっかけでサイモンと彼のコミュニケーションが始まります。
「こんな風に知らない人との会話が始まるんだ」と、私はなにかアメリカカルチャーのようなものを感じました。
自己紹介の流れで、私も彼と少し会話を交えた後、彼とサイモンはしばらく自分たちの会話を楽しみました。
どこからきただとか、何をしに来ただとか。
話を聞いていると、彼(名前はAli)はアメリカから来た黒人。
ただ一回の旅行で日本が好きになったという理由で、全く日本語のわからないなか仕事を辞めて日本に住みに来たのだそうです。
横浜の家からはるばる京都に来るのはコレで二回目。日本に半年間ぐらいいるのにも関わらず、日本語は1〜6までの数字しか覚えていませんでした。
そんな人がいるものかと。
初めてのシーシャとお酒で頭がぼーっとしていた私は、興味津々でただ話を聞いていました。
問題が置きたのはココからの話です。
そこで起きたことは、私は予想もしてなかったことでした。
英語が聞き取れない。
全く。(2割ぐらいは聞き取れたけど)
サイモンとAliが話す内容が、驚くぐらい聞こえなかったのです。
もちろんお酒で頭があんまり回ってなかったというのもあるでしょうが、そんなレベルではありませんでした。
その時に初めて気づいたのです。
サイモンは自分と話す時、手加減していたんだ、と。
考えてみれば至極当然です。私が留学生と日本語で話す時は、多かれ少なかれ手加減をします。
相手の分かりそうな単語や言い回しを選んだり、ゆっくり話したり。
日本の文化の土台無しでは理解しにくい話や、ことわざや慣用句は極力避けます。
同じことをサイモンはずっと私にしてくれていたのです。
Aliとサイモンが話す時、私はそれに初めて気づきました。
時々私も話しましたが、彼らの話す内容には終始ついていけませんでした。
1時間ほど話を聞いていたでしょうか。さて店を出ようかとなった時に、サイモンは私に問いました。
「普段より早い会話だった。どれぐらい聞き取れた?」と。
彼も少し心配していたのでしょうか。
私はそんな彼に答えました。
「70%」。
完全な嘘です。ホントは30パーにも満たなかったと思います。
なにか悔しかった私は、素直に30とは言えませんでした。
このときほど「学校での英語だけじゃネイティブとは打ち解けれない」と感じたときはありません。
それほどまでに私がそこで見た「英語」は、私の憧れてきた「ネイティブのそれ」だったのです。
ネイティブと話すことではなくて、ネイティブ同士が話している空間に居るほうが得ることが多い、という考えを持ち始めたのもその時からです。(この考えについては「ドラえもんが言語教育に革命をもたらす」でも書いていますのでぜひ見てください)
私のそこでの苦い経験が、今の私を作っているのでしょう。
そのあと店を出た私達は、三人で一緒に河原町南にあるバーに向かいました。
「日本に来て全然アメリカ人がいないから、今日出会えてよかった」
向かう途中に私が聞き取れた、数少ない会話内容です。
通訳係の友人A
そうこうしている間に、目的地に到着。
着いたのはフランス人がカウンターでマジックを行うバー。
店員がフランス人ということもあり、お客さんも外国人が多かったです。
「京都は外国人おおいなぁ」と思いながらも、私達はそのバーで二人の日本人の女の子と出会いました。
私はAliとこの女の子たちの通訳をすることになります。
Aliは、日本では「街で見かけた子に声をかける」のはあまり良くないとされているから、日本人の友人を作る機会が全然ない、と言っていました。
そりゃこの黒人に英語で話しかけられて、日本語しか喋れない日本人なら逃げるだろう、とも思いながら、私は通訳を続けました。
今思えば、通訳として彼の印象に残れたから良かったものの、通訳の機会がなければ私はただの「サイモンの友達A」で終わっていたでしょう。
やはり言語力がないことには、仲良くなれるものもなれません。
私はそう考えながらサイモンと二人、帰路につきました。
帰りの電車でTinderを見ながら可愛い子を見てはスワイプ。
「1to10」でひとりひとり評価しながら、薄暗い阪急電車に揺られました。
「That was something new(あれはなんか新鮮だったね)」
というサイモンの嬉しそうな笑顔に、
「Yeah」と答えた私は、
自分にしか見えていない「something new」について思いを馳せました。